トットちゃんとカモメとパン

北欧大好き。コーヒー大好き。シンプルで丁寧な小さな暮らしを模索中。時々、トットちゃんのような個性的な子どもたちのサポートについても綴っていきたいと思います。

【今日の断捨離】心を痛めつつ、やっと食器を手放しました

 

正確には【昨日の断捨離】です。笑

 

先日拝見した、はなはなさんの記事にとても共感。刺激をいただきました。

sekaitabi2.hatenablog.com

 

少しずつでも、まとまった時間が取れなくても、取り組んでいけばいつか、必要最低限の大好きなモノだけに囲まれた理想の暮らしにたどり着けると、エールを頂いた気分です。

 

 

実はずーーーっと心の片隅で気になっていた、捨てられない段ボール箱がありました。

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使っていないのに何となくそこにあった食器。

何かのおまけでもらった食器。

お気に入りでない食器。

主人と私がそれぞれ一人暮らしの時に使っていた不揃いの食器。。。

 

 

全てを一度に処分する勇気がなく、断捨離ボックスを作って、今はほとんど使っていない3階においていました。

 

この箱を作ったのは、このブログを始めるずっと前。

 

だから、何度か写真でお見せしている食器棚には、影も形もない、本来は私にとっては“不要な”モノたちです。

 

何かの本で読んだのでしょうか、ちゃんと捨てる期限まで、段ボールに書いているのに、実行できずに1か月が過ぎていました。

 

 

ぶわこさんのこちらの記事を拝見して、背中を押してもらいました。

buwako.hatenablog.com

 

私は、今まで食器を捨てたことがなかったのだな、と気づいてしまいました。

 

派手に割れてもう再生不可能なものはさすがに捨てますが、少し欠けてしまったくらいの、でも器としての用途をまだ果たせるものを捨てることができません。

 

断捨離系の本によくありますよね、ダメな例として。

「別に置き場所に困ってるわけじゃないし・・・」「いつか金継を会得したら復活させて使いたいし・・・」と、言い訳のオンパレード。

 

なぜ自分がこんなに食器を捨てることに抵抗があるのか、実は自分でもよくわからないのですが、欠けている食器ですら捨てられないのに、“必要ないから”という理由のみの割れていない食器を捨てるのは想像以上に大変でした。

 

昨日は不燃ごみの日。

 

朝旦那さんに、「あの食器も捨てるのー?袋に入れて外出しておこうかー?」と聞かれ、速攻Noの返事をしている自分・・・。

 

トホホです。

 

でも、この機会を逃したら、もうずっと手放せない気がして、一つ一つの食器を段ボールから出し、丁寧に紙に包んで、45リットルのごみ袋に、割れないように注意しながら入れました。

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そして、袋を前に、もう二度と「安いから」「可愛いから」「取りあえず必要だから間に合わせで」食器を買わないようにしようと心に誓いました。

 

 

着古したものでも捨てずにリサイクルしたり、ウェスにして使い切れる洋服と違って、食器はその役目を終えたとき、本当の「ゴミ」になってしまう。

 

買ったときは自分にとっても価値があるし、何千円、何万円という商品価値がついている。

でも食器って、中古になったとたん、本当に買い取り手がないです。

リサイクルショップだって、未使用で箱があれば買い取ってくれますが、使用されているものは、余程のブランド品でなければ引き取ってもらうことすらできません。

 

私が食器に対して、殊更捨てられず、罪悪感を感じるのは、使い切れていないのに、自分の手でモノの「終わり」を決めなくてはいけない、その作業がつらいからなのかもしれません。

 

今食器棚の中にあって、毎日使っている食器の中にも、実はまだ間に合わせで使っているものがいくつかあります。

本当のお気に入りを見つけた時に、交換しようと思っているところです。

 

今回の「捨てる痛み」を教訓にして、慎重に慎重に選んでいきたいです。もちろん、それまでのお付き合いにはなりますが、今使っている食器たちも「使い切れた」という気持ちで手放せるよう、大切に使っていきたいなと思います。

 

 

今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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