トットちゃんとカモメとパン

北欧大好き。コーヒー大好き。シンプルで丁寧な小さな暮らしを模索中。時々、トットちゃんのような個性的な子どもたちのサポートについても綴っていきたいと思います。

私のこころの原点は大学の学生寮だったんだな、と気づいた話。

 

昨日、おふみさんのブログを拝見していて、ものすごく懐かしい感覚が自分の中に流れ込んでくることを体感。

mount-hayashi.hatenablog.com

 

記事の中で出てきた「鴨川」や「シェアハウス」が、自分が1年間過ごした大学の学生寮とダブって、とても懐かしい気持ちになりました。

 

心理学の授業の中で、自分の心の原風景を絵に描く、という授業があります。目を閉じ、心を落ち着かせて息を吐き出し、ゆっくりと自分のこころと対話する。その時に自然に浮かんだ景色に寄り添ってみる。

心がざわざわとしたときに、この景色を思い出すことで、自分の中により所を作ることができます。

 

私が書いたのは、大学の裏山のお墓の前の駐車場から見おろした、街の景色だったのをよく覚えています。

 

 

私は周りを山に囲まれた、とても自然の美しい環境で大学の4年間を過ごしました。

少し特殊な大学で、1年生は全員同じ街のキャンパスで1年間すごすものの、2年生からそれぞれの学部のある地域へ引っ越しをします。

そんな事情もあり、母校には1年生だけが入居することのできる学生寮がありました。

 

8畳一間を二人でシェア。

8畳といってもどでかい2段ベットが備え付けてあったり、事務用の机がデーンと二つ設置されていたりと、とにかく狭く、自分のものを置くスペースは背の高さくらいの本棚が一つ、二人で一つのクローゼット、そして事務机の引き出しのみでした。

 

住んでいる二人でよく相談してスペースをうまく活用しないと、部屋でくつろぐことすらできません。

 

入寮の日、知らない土地で、知らない人と突然スタートする、ある意味家族よりも親密な暮らし。

今思うと、よく適応したなあ、と思います。笑

 

同じ部屋の子と寝食を共にすることは当然として、寮には「ブロック」という生活共同体のようなシステムが敷かれていました。

 

コの字型の建物は、真ん中の食堂を挟んで男子棟と女子棟がつながっており、行き来は自由。

寮母さんらしき人が常駐しているわけでもないほぼ完全自治の寮。

 

だから、ある程度寮生どうしが協力し合ってルールを守ったり生活を構築していくシステムが必要だったのだと思います。

 

ワンフロアに12部屋あって、それぞれに2人ずつ入居。つまり24人が一つの「ブロック」として、ブロックの中でいろいろ役割分担を決めます。

このブロックが全部で14。

それぞれのブロックに学級委員のようなリーダーを選出。14名のブロック代表プラス、全寮から選ばれた寮長、副寮長をトップとした生徒会のような組織で寮全体のことを話し合い、決め、生活していました。

 

おふみさんの記事とシンクロしたのは、いつも誰かが存在して、誰かの息遣いが感じられる中で、時にはゆるーく、時には家族のように強く結びつきながら皆が生活していた点。

 

「おなかすいた~」と廊下でぼやけば、どこかの部屋から誰かが出てきて「コンビニいこか~」となる。

 

冬の寒い日は、こたつのある部屋に自然に集まって「鍋でもやろか~」となる。

 

お風呂は寮に一つしかなく、おまけに夜の9時になるとボイラーが止まり、お湯が出なくなります。バイト帰りの子が「助けて!お風呂にお湯がない!」といえば、「よし、皆で入れば湯嵩も増えよう!」とぞろぞろお風呂に向かう。

こういう濃密な人間関係が、どうにも耐えられず、退寮していった友人も何人かはいます。

 

1年限定、しかもみんな初めて親元を離れ、ナチュラルハイなまま駆け抜けた特殊な1年間だったからできた生活かもしれません。

 

ただ、あれだけ、「他人」だった人を信頼し、協力し、心から心地よいと思いながら過ごした経験は、確実に私の人生に大きな影響を与えてくれています。

 

困ったときは絶対に助けてもらえる、という安心感を、家族以外の人との間で確信できる事って、今の社会の中では本当に貴重だと思います。

 

 

私たちが卒寮した後、建物が少しきれいになったり、設備が充実したりと、寮の姿がかなり変わったと聞いています。

 

外見が変わっても、中で繰り広げられる貴重な暮らしが今もありますように、とそっと願います。

 

 

今日は私の思い出話になってしまいましたね。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

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