お気に入りだったマグカップが割れてしまいました。
写真の日付を見たら2月16日になっていました。
1か月半の間、片割れのマグカップと、同様に、ペアの一つが割れてしまい、しまいこんであったマグカップを、合わせて使っていました。
これはこれで用途を果たすし、それぞれはお気に入りで使ってきたモノたち。
でも、やはり、揃って使ってきた時の思い出が尾を引くのか、片割れどうしでは、かつてのような、手に取った時のワクワク感というか、ときめき感がなくなってしまいました。
「飲み物を入れる」という物としての用途は果たす。
でも、「大好きなコーヒーを大好きな人とともにする」という、気持ちの満たされた感覚も、私はマグカップに求めているのだということに、気づきました。
迷った挙句、ずっと憧れだったカップを迎え入れたのでした。
イイホシユミコさんのunjour。
一番大きい「朝」を意味する「matin」。
入っていた箱も素敵でした。
片割れ同士のマグカップ。
まだ使えるのに、新しいモノを購入することに躊躇し、迷った1か月半。
でも、迎え入れて本当によかった。
今日は子どもたちが春休みなので、午前中に「ななほし」をしたのだけれど、大好きな友達と、大好きなコーヒーでまったりする教室後の時間は、何だか格別でした。
今日は夕食後にも、ゆっくりコーヒーを淹れよう。
旦那さんと、少しだけゆっくりとした時間を楽しもう。
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たった一つのモノ。
でも、そこに私の思いや、使う人の笑顔が重なると、単なるモノ以上の何かになるのだと思います。
“飛び切りのお気に入りに囲まれる暮らし”というのは、きっと暮らしの全ての場面で、こういった丁寧で優しい気持ちに包まれた暮らしの事をいうのだろうな、としみじみ思う昼下がり。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました♪