今日はちょっと真面目な話題を真面目に考えてみたいと思います。
私が愛用している生協、生活クラブ。
加入すると、『生活と自治』という、50ページほどの薄い月間誌を購読することになるのですが、先日届いた1月号のテーマがこちらでした。
毎月、社会について、環境について、貧困について、地域について、食べ物の将来について・・・と私たちが考えるべきトピックスが取り上げられ、生活クラブの独自の視点で特集が組まれるのですが、毎回とても考えさせられるので、ひそかに楽しみにしています。
子ども食堂との出会い
実は、10月から、私の住む地域に「子ども食堂」がオープンしました。
生活クラブを通して、もともと知り合いだったご近所さんのカフェが、月に1度、定休日を利用して子ども食堂の「場」として提供されます。
皆さん、「子ども食堂」ってご存知ですが?
実は私は、恥ずかしながら、知り合いのカフェで始まるまで、その存在自体を知りませんでした。
お店の前を通りかかった際、準備中のボランティアさんに「これは、生活クラブに加入していないと利用できないのですか?」と質問するくらい無知でした。苦笑
11月、12月と実際に私も2人の娘を連れて、夕飯を頂きに行ってみました。
11月の様子↑ おいもご飯におからハンバーグ。温かいトン汁まで。
12月はクリスマスプレート。手作りクッキーに子どもたち大歓声。笑
唐揚げと写っていないですがナゲットがありました。写真を撮る前に子どもたちに取られてしまいましたが。。苦笑
小さなカフェが、開店と同時に常時満席。
顔ぶれは、私と同様の小さな子を連れたお母さんが多かったです。
子どもの貧困対策として始まった「子ども食堂」。
食材や運営にかかる費用は寄付が主で、スタッフは地域のボランティアが手掛けることが多いようですね。
各食堂で詳細は異なるようなので、上にリンクした「子ども食堂ネットワーク」を見ていただけるとよいと思います。
私の住む地域にオープンした「子ども食堂」は毎月1回(第一水曜日)、17:00~20:00、大人300円、子ども100円で温かい食事を頂くことができます。
けっこう、児童館で見知った顔に会ったりして、それをきっかけに子育てや食について話題を交わす仲になった方もいます。
児童館の先生方にも、少しずつ宣伝をして(私が個人的に。でも、ちゃんとNPOの方がたが地域の学校や、役所、児童館などの子どもの集まる公的な場は、あいさつに回ったみたいですね。ソリャソウカ。)、12月の回には、主任の先生が子ども食堂に来てくださりました。
私は児童館のヘビーユーザーなのですが(先生方に「おかえりなさい」と言われます。笑)、土曜日のお昼に、毎週のようにカップラーメンを食べている小学生を何人も知っています。
閉館時間間際になっても、なかなか帰ろうとしない子たちも知っています。
仕事として“臨床心理士”の肩書を背負ってではできない関わり方が、「地域のおばちゃん」として何かできるのではないか、といつもモヤモヤ考えていました。
一生懸命児童館の先生たちに宣伝したのも、やはり、一番手を差し伸べたい子どもたちが、そこにいると思ったからです。
子ども食堂を主催されている方にお話を伺うと、「最初はね、とにかくどんどん地域の人に集まってもらえたら、それでいいんです。本当に届けたい人のところへは、最後にジワジワ広まっていくもの。でも、こうやって地域の人たちが集まって、食事を共にするって、とっても温かいでしょう。こういう雰囲気が地域に少しずつ広まっていくことが大切なんです」とおっしゃっていました。
この言葉に感銘を受け、私もきちんと利用して、良さを知ったうえで、近所のお節介なおばちゃんとして子どもたちを巻き込んでいけたらな~とそんな風に思うのでした。
地域の中の居場所として「ななほし」を考えてみた
冒頭の、生活クラブの月刊誌に、こんな一文がありました。
どんなに信頼していた先生も卒業すればたいていはそこで関係は終わってしまう。でも、地域の住民なら小さいころから就職するまでずっと伴走できるんです。
これは、私が心理士として働く中で、常に、常に感じていた事でした。
特に、私が携わってきた、障害のある方たちへの支援は、生涯にわたる伴走がとても大切です。
でも、幼稚園・保育園から小学校へ上がると、支援が途切れてしまう。
中学へ入ったら、利用できる支援自体がない。
その先のサポートは本当に無いに等しく(今少しずつ動いてはいますが)、就労・自立に至っては「自己責任」の色が非常に強い。
障害の程度や種類によっても異なりますが、やはり「〇〇障害」を支援するという意味合いが強いように感じていました。
「障害者」のサポートではなく、「〇〇さん」を気にかけて、できる事はサポートしながら共に歩んでいく、というもっと個別的で温かなかかわりができないものか・・・といつももどかしく思っていました。
制度として、つながりのある支援が整えられたとしても、やはり、「人」と「人」との関係性の上に成り立つものですから、「人」が変わることで「途切れてしまう」感はぬぐえないと思います。
上の過去記事に少し触れた、私が非常に影響を受けている私立の療育教室では、小学生になる前から成人するまで、ずっと通ってきていた男の子(いや、男性というべきですね)がいました。
教室のスタッフ全員が、微笑ましく彼のことを話題にでき、「初めてのお給料でスタバで抹茶ラテを飲んだんだってよ」「今度職場の忘年会があるんだって!」などと、まさに親のような気持ちで彼の成長を喜び合ったのを今でも鮮明に覚えています。
ああ、こういうのって、いいなあ。
素直にそう思いました。
沢山の子どもたちとかかわることはできないけれど、たった数人の、「ななほし」を頼りに通ってくれる地域の子どもを、心理士としてだけでなく、「地域のおばちゃん」として長く長く寄り添っていきたい。
お母さんを中心とした、その子の家族も、ともに年を重ねながら、ともに成長を喜んでいけるような、そんな「場」になったらいいな。
子ども食堂の記事をきっかけに、ぼんやりと思い描いていた「ななほし」の未来を、そっと文章にしみよう、そんな風に思い、今日の記事を書いてみました。
世の中そんなに甘くはないかもしれませんが、私は私ができることを一つずつ形にしていきたいと思いました。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。