皆さま、新年あけましておめでとうございます。
と、毎度ながらマイペースにスタートする我がブログです。苦笑
年末年始を実家、義理実家でぐうたら過ごしたツケか、なかなか日常に戻れず。。
今朝、やっと4時に起きるいつもの生活に戻せた次第です。苦笑
さて、色々な方が新年の抱負や目標、やりたいことリストなどを公表されていますね。
やはり、私も1年の初めに今年はどんな年にしようか、と思いを巡らせながら過ごしておりました。
昨年の途中から、その静けさと奥の深さに魅了された「禅」の世界。
今年は禅の教えである「禅語」の中から「今年の漢字」ならぬ「今年の禅語」を考えてみました。
「喫茶喫飯」
「きっさきっぱん」と読みます。
意味は「お茶を頂くときはお茶を頂くことに集中し、ご飯を頂くときはご飯に集中する。」ということ。(出典は↓)
前掲の過去記事で紹介した桝野俊明さんの著書には以下のように書かれています。
「喫茶喫飯」という禅語があります。これは、「茶を喫するときは茶を喫することそのものに、飯を喫するときは飯を喫することそのものになりきる」ということ。つまり、無心にその行為をすることの大切さを説いているのです。
今、行っていることに対して、無心になる。ほかのことなど考える余地もないほど、その行動とひとつになる。そのような状態になった時、気持ちは朝凪のように落ち着き、心は鏡のように澄みきる。そういう境地なのです。p.63
ご飯を食べたり、お茶を飲んだりと、何の変哲もない日常の動作を、ここまで意識して丁寧に味わうことができたら、同じ一日を過ごしても、その意味合いは全く異なると思うのです。
そんな瞬間を積み重ねることができたら、半年後、一年後の自分のあり様は、きっと全く違うものになる。
毎年恒例のワクワクリストも、今年はいつもよりもじっくりと時間をかけて、書き出すその行為自体を味わいながら、ただいま醸成中です。
「今」という時は、意識した瞬間に既に過去になっているほど儚いものです。しかし、だからこそ、「その瞬間にそのものになりきれるかどうか」「今、このときに没頭できるかどうか」ということを、禅では常に問うているのです。p.65
食事はもちろん、掃除をするとき、お皿を洗う時、コーヒーを淹れるとき、人参の皮をむく時・・・暮らしの全てでそのモノ・コトになりきれるように。
本を読むとき、電車に乗るとき、仕事でお母さんたちの話に耳を傾けるとき・・・「今、ここ」にじっと意識を集中させられるように。
「喫茶喫飯」の教えを今年の心がけとして、いつも心にとめることで、普段の暮らしが素晴らしく輝きますように。
こんなナナホシです。
本年もどうぞよろしくお願い致します。